名訳あれこれ(1) 〜地下鉄の切符切り

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山手線の改札口を抜けようとして傘をひっかけ立ち往生してしまった。瞬時に不機嫌な気配が伝わり、すぐ後ろの人はとなりの改札へ。しかし、彼もまた報知音とともに足止めされてしまった。オートチャージではなかったらしい。
それ見ろ、自分だって、という気分にはならない。
前のふたりに改札を塞がれた人たちには気の毒だったと思う。
隙間なく連なった改札の列。ここで止められるというのは、なんと罪悪感と屈辱感を感じさせることか。こういう出来事は、こちらにとっても不幸なアクシデントだが、改札の人の流れを滞らせた責任を感じたり、不足する前にチャージしなかった粗忽さを責められているような負い目の気分になったりする。思わず、斜め半端に首を後ろに捻って詫びの仕草までしてしまう。
「地下鉄の切符切り」という歌を覚えているだろうか。奥地睦二氏の名訳がついていて、高野さんも古賀さんもレパートリーに選んでいた。
今あの歌を歌う時にはいちいち当時の改札事情を説明してからということになるだろう。
昭和生まれ世代は、電車の発車を知らせる時のジリジリジリという殺伐とした凄まじい音量のベルも忘れられない。駅員にドアの閉まる直前、背中をぐっと押され、押し込まれたことのある人もいるだろう。煙管(きせる)だとか、薩摩の守だとかという隠語はもう死後かもしれない。こわーい顔をして切符に挟みを入れていた駅員さんが神業のように違反者を捕まえると一瞬だけ流れが止まり、後を引き受ける別の駅員さんが出てきて違反者を連れていく。
「地下鉄の切符切り」はまさにそんな時代の駅の風景を切り取った歌だった。あの感じを知らない世代に向かって歌うのは相当難儀だろうな、と思う。

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地下鉄の切符切り

作詩  Serge Gainsbourg
日本語詩 奥地 睦二

 
 僕は切符切り 誰もふりむきゃしない
 陽の差さぬ地下鉄の改札口で
 退屈しのぎに読んでる週刊誌
 それにゃ書いてある マイアミの浜の暮らし
 ところが僕は 暗い穴ぐらで
 相も変わらずしがない切符切り
 
 いつもあけてる小さい穴 小さい小さい小さい穴
 二等切符の穴 一等切符の穴
 いつもあけてる小さい穴 小さい小さい小さい穴
 小さい穴小さい穴小さい穴小さい穴
 
 僕は切符切り 「乗り換えはあちらです」
 モグラのように思い詰めている
 ステキに明るいカーニバルの空
 けれどここには タイルの空しかない
 ふっと目に浮かぶ どこかの港
 もやに霞んだ波止場のむこうから 
 
 僕を探しに船が来る 僕を迎えに船が来る
 けれどつかの間に 船は消えて
 僕はちょっとヘマをやる 小さい小さいヘマをやる
 小さい穴小さい穴小さい穴小さい穴
 
 僕は切符切り 「直通はこちらです」
 いい加減うんざりしてるうんざりしてる
 外であの娘と気楽に遊びたい
 いつかここから 逃げ出せる日が来たら
 大通りを真直ぐに 走って逃げたい
 それを思うと足がむずむずする
 
 いつもあけてる小さい穴 小さい小さい小さい穴
 二等切符の穴 一等切符の穴
 いっそ開けたい最後の穴 こめかみに一発小さい穴
 お陀仏するまでうなされ続ける
                         
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「Le poinçonneur des Lilas / 地下鉄の切符切り(リラの門の切符切り)」はセルジュ・ゲンズブール1958年のデビュー作品。もちろん作曲もゲンズブールです。
こちらのジャケットはデビュー・アルバム"Du Chant À La Une ! ..."です。

公開日:2023年8月20日