異国の歌を日本語に
上田敏が明治に発表した翻訳詩集『海潮音』は、昭和の半ば生まれの我々世代にも人気で、文学好きにとっては必読の書だった。プッセの「山のあなた」やヴェルレーヌの「落葉」などは、思春期の思い出として心に留まっているはずだ。讃美歌や「ロンドンデリーエア」、「庭の千草」など外国民謡もいまだに文語の歌詞が定番として残っている。
黎明期の翻訳詩は文語の調べの美しさが人口に膾炙する大きな要素であったと思う。歴史の長い文語は洗練度も高く響きもよい。現代でも谷村新司の「昴」のヒットは文語を上手く使った例だろう。
やや前振りが長くなったが、このたび訳詩(詞)について書かせていただけるということで、文語による翻訳詩や、大衆に流れ込んできた最初の西洋音楽ともいえる、歌詞について少し考えてみた。
私が携わってきた仕事は、詩として発表された後に音楽がつけられた作品や、「詞」という文字で表される歌詞の翻訳である。(以下煩瑣なので、詩、という表記に統一したい。)そして、対訳・直訳ではなく、そのまま歌える日本語の詩として仕立て直す作業である。多くはフランスの作品だが東欧やギリシャの作品などもあるので、ひっくるめれば異国の歌。異国の歌を私は日本語の調べに仕立て直してきた。
訳詩という苦行
「外国の歌を紹介するのは詩人のつとめ」と仰ったのは西條八十先生だが、韻文の訳に関してはセンスの問題が大きい。
訳詩の場合、一番の問題は始めから音符の数に合わせて言葉の数が制限されているということ。大体が訳文の方が長いので嵌りきらない言葉の処理に苦しむ。原詩の意味を損なわずに曲のなかに収めるとなると、訳す側にも日本語の語彙と理解度が要求される。例えば羽織ったコートが、薄いと表現された場合、文脈によっては寒々しい貧しさが、軽いとされた場合、品の良さや颯爽とした感じがでる。この違いは天と地ほどだ。
そして歌は耳から入った一瞬で意味がわからなければいけない。後から何て言っていたの?とか、どんな字で書く言葉?では困る。映画のようにテロップにセリフが出ないのだから。原詩の言葉の面白みや修辞、擬音、擬態語の効果、繰り返しなども切り捨てたらどんなにつまらないものになるだろう。あまつさえ日本語は音に乗りにくく、スピード感のない言語。音楽の流れは絶対だし、サビには、インパクトのある馴染みやすい言葉が欲しい。結局は換骨奪胎し、再構築し、ほとんど作詩に近い。
原詩と音楽の手枷足枷に縛られて、聴衆の耳に親切で誤解を生まず、調べもよく、おお、と唸らせる気の利いた、感動させる詩を目指す。こんな苦行をしたあげく「原詩がいいからね」、という評価に甘んじるしかないのは不当ではないだろうか?
二十年近く前に私は訳詩集を出すつもりで、帯文を新川和江氏にお願いすべく訪ねた。ところがオリジナルの詩を勧められ自分の第一詩集に化けてしまった。その時に訳詩に比べて、何と自前の詩は気持ちよく書けるのか、何という自由よ、と感動して病みつきになった。そして詩を書き続けこの稿を書くご縁を得たのだった。
豊かな日本と学生時代
訳詩を始めたのは本当は自分が歌うためである。
大学に入学して間もなく、私は、シャンソン研究会なるものに入った。その頃はまだ日本も学生文化も元気で、創設期の先輩たちはレコード会社に就職した人も多く、プロのミュージシャンとして活躍している人もいた。中でも薩めぐみという先輩は前世紀活躍したマルチな詩人、ローラン・トポールのシャンソンをレパートリーにフランスで活躍していた。
トポールは、ある日偶然、自宅で薩めぐみの歌っているテレビを見た。その一度だけで彼は、自分のシャンソンの全てを薩めぐみに任せる、と遺言する。一年後、トポール夫人は薩めぐみを探しに来日した。そして、薩めぐみはパリを拠点とした歌手になるが、残念ながら早逝し、今、トポールのシャンソンを歌っている歌手を私は知らない。
作家の藤田宜永氏もやはり先輩で、亡くなる一ヵ月前のOBコンサートでも、一曲歌い、元気に飲んでおられたので、訃報を聞いた時は本当に驚いてしまった。
そんな会だったから、三年生の時、後輩のピアノ伴奏で歌った録音テープを、つい「銀巴里」のオーディションに送ってしまった。拙い訳詩が珍しがられて、ひっかかった。歌手生活が始まってしまった(と本人は思い詰めた)ので、レパートリーを増やすべく続くせっせと訳詩を始めた。
詩人とアーティストと時代と
シャンソンは詩人の作品が多い。プレヴェール&コスマの歌の数々、象徴派の詩人たち、ボリス・ヴィアンの作品。フランスのアーティストは自分の好きな詩に身構えずに曲をつけて、聴衆もそれを楽しむ。やはり伝統なのだろう。
L・フェレという歌手は、自身も詩を書くが、ランボー、ボードレールなど詩人の作品に多く曲をつけている。三十年くらい前、彼が曲をつけたL・アラゴンの作品の訳を依頼された。「赤いポスター」という作品で、いまだに人気がある。というか、ウクライナやイスラエルの事があってから、また人気が出たらしい。いろいろな人が歌ってユーチューブにたくさんあげられている。ただテロップに訳詩家名はともかく原作者の名前の表記がないのが気になる。歌になってはいるが、これは文学作品であることを覚えておいていただきたい。
内容は、第二次世界大戦中に処刑されたパルチザンのひとりが恋人に宛てた遺書がもとになっている。彼は彼女に、この美しい世界で生き続けて子供を産め、死にゆく今、誰にも恨みはない、と遺していく。
ところで、この「子どもを産め」というのが、現代では性差別に当たるので、外して歌わせてほしい、と言われて面食らったことがある。私としては原詩にはそのようにあります、としか答えようがなかった(これは詩人の作品なので、腐心したが、幸い曲の寸法がうまく合って、ほぼ原詩通りである。)。もとより私に許可する権利などあるはずもない。
フェレは晩年来日した時、若い夫人と愛らしい幼いお子さんを伴っていたが、まるでボードレールが育った環境を作っているようだ、と思ってしまった。そこまで実行する程、この人は詩人を崇拝していた。
アラゴンの作品には、名だたるシャンソン歌手が曲をつけている。ブラッサンス、J・フェラ、妻のエルザへの愛を歌ったものなど、詩に相応しい佳曲が多い。
詩人の歌の訳では、ロシアのB・オクジャワの作品なども人気がある。この人はグルジャ、現在はジョージアという国の人。吟遊詩人と呼ばれた。
彼が来日した時のコンサートの訳詩を私は6曲ほど手掛けた。ロシア語はできないのだが、招聘した会社で依頼した文学者の訳が完璧すぎて、歌うには難しすぎた。そこで急遽、僭越ながら餅は餅屋ということで呼ばれ、一週間ほどで歌の詩にした。
実はそれに先立つ十年近く前、その中の「祈り」という歌は既に訳してあった。
A・プリュクナルというポーランド出身の歌手が来日コンサートで歌っていたのである。しかしその時のタイトルは「フランソワ・ヴィヨン」。四行四連の詩で、神への懐疑、というか、いささかシニカルなこの歌を私は好きで、自分で歌うために訳していたのだった。いわく、
神よ、この地球が回るかぎり、あなたが神なら人々の望むものをそれぞれにお与えください、それが臆病者なら逃げるための馬を、金や権力を、天国を、欲しがる者それぞれに、望みのものを、神のあなたならできるはず、そしてもちろん私の分もお忘れなく、と大体こんな内容で、その裏に嘆きの込もった詩。
プリュクナル来日当時は「祈り」というタイトルでは国外に流せなかったそうだ。しかしオクジャワ本人の来日した時は、ゴルバチョフの政権で、この歌は本来のタイトルで歌は紹介された。そして、彼はコンサートの終わりに、ファンからのプレゼントの大きな羽子板を抱き、これで自分はひとりの詩人として帰国できると言って、目を潤ませていた。
オクジャワはその後パリに暮らして客死したが、現状を見ずに逝って幸せだったかもしれない。
時代を背負う歌手はいる。ただ、歌は重たいものではない。軽やかに、気分をさっと変えてくれるもの、フランス詩は特にこの手のものが得意だ。そしてこういう小技の利いたものが一番難しい。滑ると取り返しがつかないし、落ちが強烈すぎるとたびたび歌えなくなる。(あ、結果はああなる歌ね、と)。珠玉の小曲の時は球を転がすように言葉の光を楽しむ。胸を広げて愛を訴える歌もお国柄が出るものだ。
「タラッサ」という作品などは歌らしい歌だった。これはギリシャのものだが、ミルバというパワフルな歌手のアルバムにイタリア語で入っている。ギリシャ語で「海」という意味のこの歌は、イタリア詩では特に具体的な状況説明はなく、メロディに感情をあずけている。そういう意味では古い抒情詩に似ているかもしれない。文明発祥の神話の国だけあって、この国の歌は今も古典的なものが多い。大分前にCMでヒットした、「時はすぎゆく」(古賀力訳・金子由香里歌)の原作者、G・ムスタキも実はギリシャ人で、洒落ているようだが、どこかにブズーキと足踏みのリズムを感じさせる。
「タラッサ」は夜の海と島を、幻想的に自身の孤独の心象風景として描いた詩で、私はこのギリシャらしい調べの大らかな詩の訳に一か所だけ定番の古語的な表現を使わせてもらったが、これはあっという間に広がり、シャンソン教室の先生たちがレッスンに使っているそうである。やはり文語の響きは強いのだと再認した。
好きになって歌っていただけるのは、訳詩家冥利に尽きるのだが、困るのは権利が難しいこと。ほとんどの場合、印税には結びつかない。さらに日本の知的財産権は緩い。原作者でこそないが訳詩は詩人に属するものであることを知っていただければ、なお嬉しい。
最近訳したナポレターナなども実にお国柄の出たものだった。あの国は、他国の支配などで政治的になかなか辛いものがあり、能天気に太陽の下でセレナードを歌う、というイメージとは全く違うらしい。土台、ナポリ語というのは、イタリア語のなかでも特殊なのだそうだ。ナポリ人は支配者向けにいい加減な対応をした後、背中を向けて彼らにわからない言葉で罵る、という二重人格的なところがあり、悪く言えばひねているらしい。S ・ジャコモという詩人の歌を二曲ほど訳させてもらったが、そのうちの「ナポリ人のセレナード」という歌も、失恋した男が、
君は別の男に心惹かれて僕をフッタね、でも君だってフラれたんだよ、さっき僕は彼がほかの女と君を馬鹿にして話しているのを見てきたんだから、
と、言いながら、
でも愛しているから戻ってきて
という熱烈なサビに続くのである。もう一方、「三月」という歌は古典的な抒情詩だがナポリのイメージが一新する曲。発売されたCD(「ナポリの宝物」松本淳子キング)
には近藤直樹氏(京都外国語大学教授)の詳細な解説がついていて面白い。
世界には様々な歌があり、今回取り上げたのはほんの一部で、作品の運命をつくづく考えてしまう歌もある。
原作者の全くわからない、土地で愛好されて収録された歌などもある。そのうちの何曲かに、私は自分の詩をつけた。今度出す詩集にも入れたいほど気に入っている。時々、歌手になったりもするので、そんな時は必ず気に入った訳詩を歌うことにしている。よくできた(と本人が思える)訳詩、あるいは詞、または自前の詩を歌うのは心地よい。
もちろん、詩を書く人間のプライドとして、常に詩を尊重し、原作者もリスペクトしている。例え、曲がなくても、独立した詩として鑑賞にたえる作品を目指しているつもりである。
けれども空間に、メロディをまとった言葉を花びらのように投げかけるのは本当に楽しい。
私が詩を書くのは、こうしたさまざまな楽しみを味わせてもらって、また、根っこのところにいじけている売れない歌手をひきずっているからかもしれない。