私の生まれた町は川が一本真ん中を流れていました。川の内側が城下町で内町と呼ばれたところ。私はそこで暮らしました。川の外側は外町。当時は商店街などで賑わっていました。
石坂洋二郎という作家をご存じないでしょうか。少し古い時代の作家ですが、疎開してきて書いた小説が『山と川のある町』や『若い人』です。お城の山へ登って見下ろすと、なるほど作品の名になった通り、山の間を川が一本きれいに流れていきます。
実家は川にごく近く、夜眠っているとさらさらさら川音がしました。夜汽車の音も聞こえました。それほど夜は静かだったのです。
二階からは鳥海山も見えました。六十年に一度という大水(洪水)もこの家で経験しました。それはとても不思議な記憶を残し、『月の実を喰む』にも描きました。
その後もちょこちょこ水害の兆しがあったかどうか、川幅を広げる工事が施され、川や周辺はすっかり様変わりして、実家も取り壊されて移転しました。
十八まで暮らしたこの家が取り壊される様子を私は見ていません、というより見ないですみました。
― 詩集『月の実を喰む』
水神の花嫁 から
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町は深い雪のなかで水神の祭りをした
いくつものかまくらがつくられ
祭壇には水神と書かれた札が置かれる
しかし誰も、その神の本体の姿には興味がないようだった
雪解けの濁流が、上流から根こそぎもいだ細い木を投げ
あげながら流れてくるとき
人々は喜びよりも虚脱感の方を強く感じ、またも水の力に圧倒された
その町がすっかり姿をかえてからもう二十年以上になる
治水工事を施された川は氾濫することがなくなった
小高い丘から見ると活き活きと子蛇のようだった川面のきらめきは
失せてカジカの鳴声も消えた
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故郷は古い家ごとどこか別の場所へいってしまったような気がします。
二階の私の部屋は、今頃、日が射して明るく、雪溶け水のしたたりが聞こえているかもしれません。あるいは桐の木の殻が庭へ続く小径に落ちかかっているかもしれせん。年ごとに育った家が恋しく淋しく思い出されます。
・・・・・
あの町では
わたしも物語の入り口を知っていた
深い雪と白い闇の狭間に
小さくても
迷わず入口を見つけられ
どうすれば戻れるかもわかっていた
たぶん そのころにはまだ
何かしら
物語の役割を果たしていたのだろう
― 雪待ちの日 から