雪の贈り物

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 雪の深い街に生まれた。すでに都心の暮らしの方が長いのだが、今でも雪の気配を感じて目ざめることがある。旅の途中という想いは消えない。

『たがいちがいの空』あとがきから 

 
 日本、というか世界中の気候が温かくなっていますよね。私がこどもの頃は本当に寒かった、雪の量も半端じゃなかったです。
 今はどうか知りませんが、私の故郷は小学校の地理の教科書に豪雪地帯で載っていました。秋田県横手市って。「かまくら」の写真もあったでしょう。
 私たちは教科書をみて何か誇らしい気分になって歓声をあげたものです。私たちの一年は、冬とそれ以外の季節とで二分して成り立っていました。
 今よりずっと冬が長くて、半年は雪を見て暮らしました。十一月に初雪が降ってから四月になっても日陰は雪が溶けない、お正月の歌の凧揚げや羽子板遊び、テレビで見る桜の入学式が不思議でした。こういう場所で育つと人間の性質は東京や暖かい地方の人とは明らかに違ってくると思います。吹雪が二、三日続くと学校が休みになったりして。とにかく降りこめられるわけですよ。あの頃の暮らしについてならいくらでも書けるのですが。
 今より暖房設備も悪く、こたつに入って本読んでるしかなかった頃。トルストイやドストエフスキーのながーい長編が書かれる状況はよく理解できます。
 でもご褒美もある。雪景色の美しさといったら、すべての苦痛を贖(あがな)ってしまいます。
 街灯に照らされてひとつひとつくっきりと見える雪の結晶とか。首をすくめて寝ていた寝床のそばのすりガラスに結晶した模様とか。私には今でも満開の桜を見ると、雪を被った冬の枯れ枝に見えてきます。そのことを私は―この町に二度目の春がくるーと詩のなかに書きました。
 凍えるような寒気のなかで錐のように瞬く星の光り。太いつららが貧しい家の軒を宮殿の柱のように支える様子。
 雪によって織りなされるさまざまな物語。悲惨な出来事も、まことしやかな嘘も、降りこめられていっそう濃密になった人間関係のなかで、吐く息もひそめながら語られていきます。

冬の実

  
ここから先へはひとりで行きます
橋の向こうは冬の町ですから
そこへ行くともうさびしくはなくなります
もう何かが失われることもありません
わたしの涙は凍ったまま
いくつもの夜に耐えるでしょう
消えない悲しみが今度こそ
わたしを支えるでしょう
 
わたしたちの旅は終わったのです
ごらんなさい
ああやって 惜しげもなく空に散りばめられた星が
どれほど人を苦しめてきたことか
どんな拷問にもまさるのが憧れです
・・・・・・
 

― 『たがいちがいの空』から

 

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 大曲で新幹線を下りると東京より十度は低い気温にふるえます。それが故郷に立つと、少し和らいだ気がする。雪が降ると寒気が包み込まれるようなのです。
 暖冬で雪が少なかったりすると、その年は虫が多く涌いたり、作物に良くないことが起こったりしたものです。バランス、というものだったのでしょう。
 東京で暮らしているうち、気候になじんで、寒いなどと言うようになりましたが、あの頃に比べたら! 
 今でもきっぱりとした寒さのなかにいないと、どこか締まらず惚けた気がします。
 胡馬の気持ちはわかります。

公開日:2023年3月31日