私は早稲田の学生時代の約4分の1くらいを3号館地下の、シャンソン研究会という同好会の部屋で過ごしました。
当時、シャンソン研究会は早稲田のほかに、慶應、日本女子大、白百合女子大にもあり交流が盛んでした。早稲田と慶應のバンドが女子大のバックを受け持ち、年に何回か合同でコンサートを開いていました。
大学3年の時に、後輩のピアノの伴奏で録ったテープを銀巴里に送って、補欠に引っ掛かりました。それでなんだかもう歌手になった気分でいたのは本当に幼くて世間知らずだったわけで。当然世の中は甘くなくてその後は大変なことになりました。
まあでも、詩(あるいは詞)の評判はよかったので、徹底的に落ち込みはしなかったのです。渋谷のシャンソニエ「港屋」に出始めたのも二十代初めの頃で、今は亡き高野圭吾さんが褒めてくれるのを力強く頼みにして己惚れていました。
よく、歌として書かれたのは「詞」で「詩」とは違う、という人がいますが、私としては音楽をはずしても、「詩」として成立するように心掛けています。勿論、音との相乗効果も狙うので、「詞」になることもあります。
特にクラシックやシャンソンなどにはプレヴェールやアラゴンといった詩人の作品に曲がついているものが多いです。歌だからすべて「詞」いうわけではありません。
フランスでも作品によってきちんと「詩」と「詞」は区別して表記されています。
訳詩(あるいは訳詞)については大学時代専攻した国文学やシャンソン研究会のなかで得たものが大きかったと言えます。シャンソン研究会の先輩たちは本当に知識が豊富でマニアックな人が多く、たっぷり薫陶を受けました。
訳詩(詞)をしようと思ったことのある人は、日本語にした場合、音の数からはみ出してしまう言葉数の多さに途方に暮れたことがあるのではありませんか?
曲を壊さずに原詩(詞)を訳そうとすると結構な労力が要ります。超訳というか、ある程度の日本語力が要求されます。できるだけ原詩の味わいも残しておいて仕立て直すのは手間がかかります。曲の制約がありますからね。それにいくら原詩に忠実といっても面白くないと何にもなりません。それでもやはりオリジナル作品へのリスペクトは大切です。作品が何を訴えたいか、時代や背景も含めて理解するところから始めるべきだというのは、作詞(詩)でない限り絶対です。
結局、かなりの詩を訳したり、あるいは日本語詩をつくってはいましたが、音の制約のない、いわゆる詩も書くようになり、詩集も二冊出しました。
公開日:2023年3月31日