赤いポスター

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赤いポスター

詩 Louis Aragon
日本語詩 藤井 優子

 
栄光も涙も祈りも
君たちは何ひとつ求めはせずに
祖国と愛を胸に
死さえ怖れずに戦い続けたパルチザン
 
街々に貼られたポスター
黒々とした髭と闇に
まるで血の沁みさながらに
夜のなかで凄みを増していた
君たちの真っ赤なポスター
 
素知らぬ顔して誰もが
通り過ぎて行ったけれど
夜更けには震える指で書きつけた
ポスターの真下に
「祖国のために死す」と
 
最後の日すべてが
二月の霜に染まっていたその日
君たちのひとりは言った
「生きる者たちに幸あれ
憎しみは誰にもない」と
 
さらば苦しみよ 歓びよ
さらば光 風 薔薇よ
この美しい現実のなかに
君は生きていけ 幸せになれ
いつか僕を思い出して
 
丘を照らす大きな太陽
自然はなんて美しい
いつか勝利の日は来るだろう
恋人よ 君に告げる
「君は生きて子供を産め」
 
やがて銃口が火を噴き
たおれたのは二十三人
人生の時を待たずに
心臓を捧げた二十三人
死ぬほどにいきることを愛した二十三人
 
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 『赤いポスター』はフランスの詩人、L.アラゴンの詩にL.フェレが曲をつけたものです。
 私はこの歌を1987年に訳しました。詩人の作品ですし、しかも恐れ多くも世界的な詩人L.アラゴンの作品ですので、できる限り忠実に訳すとともに曲にもうまくのるように努めました。
 勿論、有名なフランス文学者や翻訳者の方の原詩そのままの訳があります。しかし、フェレの曲で歌唱できるように訳したこの詩は私の作品です。
 訳してから随分年月が経ってもいろいろな方が歌ってくださっていることを知り、訳者としては歓びもひとしおです。
 ただ残念なことに、歌唱にあたってご連絡をくださった方は今まで数人しかいらっしゃいません。
 CDを制作したとか、商品としてリストアップされているというお話も聞いて驚いています。そういう方は必ずご連絡ください。
 多分、歌唱してくださっている方は、L.アラゴンの詩の日本語訳も既に読まれたと拝察するので、この作品が原詩そのままではないことをご存じかと存じます。原詩ではもっとたくさんのことを言っていますよね。
 一度でもご自身で訳詩(詞)を試みたことがある方は楽曲の寸法に比べて、日本語に訳された言葉数の多さに啞然とした経験がおありでしょう。
 ではどうするか。やり方はいろいろありますが、いずれにしろ、その作品が何を一番言いたかったかを伝えるために幾つかの言葉の省略を余儀なくされます。(時々は異国の幾つかの言葉での言い回しを一語で表せる日本語を見つけて喜ぶこともありますが)
 言葉を減らしてほぼ同じ内容で、原詩に遜色のない、日本語の詩として成立させる、仕立て直しの作業になります。
 たとえば、『赤いポスター』では始めの一連めに「あれから11年も経った」とありますが、それはこの出来事があったのがアラゴンが詩作する11年前、だからです。
 しかし、私の詩では、この作品が極めて人道的な感動で共感を得るものであることを思い、アラゴン自身の具体的な過去への感慨の年数の言葉は外させてもらいました。
 それとは逆に、ここで処刑されたパルチザンの人数、23人は彼らへの鎮魂を込めて必要なものとしました。処刑された彼らはフランス人ではありませんでした。
 そのことは二連めで、君たちの名前は発音しにくい、というフレーズでも書かれています。それでも、フランスのために命を捧げた彼らをアラゴンは詩にしたのでした。
 『赤いポスター』は文学作品です。このような訳詩は作品に対して失礼だということを仰る方もいるかもしれませんし、それは当然のご批判として受けます。
 しかし、敢えて、このL.フェレが歌とした作品を日本で発表するのであれば、より普遍的なテーマとして身近に感じられる訳を、と考えました。
 愛唱してくださっている方がいるということは、たぶん私の意図が伝わっているのだろうと嬉しく存じます。
 最近ではユーチューブに挙げている方もいらっしゃるようですが、それほどにこの詩を愛してくださるのであれば、ぜひご連絡ご連絡をお待ちしております。
 また、生前に永田文夫先生は、訳詩家は縁の下の力持ちだとよく仰っていましたが、訳詩者名を明らかにして発表してください。
 それは多くの訳詩家たちの願いです。

 この詩は渡辺歌子さんにコンサートで歌っていただいたのが初お披露目となり、その模様はオーマガトキさんがCD化されています。

 
 
 
 
 

 赤いポスター / L'Affiche Rouge は、ルイ・アラゴン(Louis Aragon)の詩にレオ・フェレ(Léo Ferré)が曲をつけ、1961年に発表した作品です。
 第二次大戦中、母国でのファシズムや弾圧を逃れてフランスに移住した外国人を中心に結成され、反ナチスのゲリラ活動をおこなっていた義勇兵パルチザン組織がありました。彼らはテロリズムだとしてメンバー全員の顔写真を載せた赤いポスターがパリ中の壁に貼られたといいます。そのリーダーだったアルメニア人のミッシェル・マヌーシアンが処刑当日に妻メリネに宛てて書いた手書きをもとに、1955年に詩人ルイ・アラゴンが書いた「思い出すための歌章」に曲をつけたのがこの作品です。

公開日:2023年5月1日